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東京地方裁判所 昭和30年(ワ)8910号 判決

原告 松浦寅夫

被告 国

主文

原告と被告との間に、昭和二十六年二月十三日締結の原告を米駐留軍用船の船員として期間の定なく使用する旨の雇用契約及び昭和二十九年三月二十三日締結の原告を米駐留軍用船BD六〇六九号の海員として期間の定なく使用する旨の雇入契約が存在することを確認する。

被告は原告に対し、金四十六万三十四円及びこれに対する昭和三十一年七月十一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は、被告の負担とする。

この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者双方の求める裁判

原告訴訟代理人は、主文第一項ないし第三項同旨の判決並びに金員支払の請求について仮執行の宣言を求めた。被告指定代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二請求の原因

一  雇入契約及び雇用契約解除までの経緯

原告は、昭和二十六年二月十三日被告との間に期間の定なく米駐留軍用船の船員として勤務する旨の雇用契約を締結し、次いで昭和二十九年三月二十三日被告との間に期間の定なく米駐留軍用船BD六〇六九号の海員として勤務する旨の雇入契約を締結し、同船に乗船して操舵手として勤務していたところ、同年九月二十日雇入契約解除の意思表示を、次いで同年十月五日雇用契約解除(以下単に解雇という。)の意思表示を受けた。

二  雇入契約及び雇用契約存在確認請求について

右雇入契約解除及び解雇の意思表示は、何れも次に述べるような理由により無効であるから、原告と被告との間には、雇入契約及び雇用契約が存在するのにかかわらず、被告は、これを有効であると主張し、原告と被告との間に、雇入契約及び雇用契約が存在することを否定しているから、これが存在することの確認を求める。

(一)  雇入契約解除の意思表示は、船員法第四十条の規定に違反し、無効である。

船員法第四十条が船舶所有者が同条第一号ないし第六号に該当する場合は、雇入契約を解除することができる旨を定めている所以は、雇入契約解除の理由を船員の著しい非行その他やむを得ない事由ある場合に限定して、船舶所有者の恣意から船員を保護しようとするものであるから、右規定に該当する事由がなくしてなされた雇入契約解除の意思表示は無効である。ところで、被告は、原告に著しく職務を怠つた行為のあることを理由に雇入契約を解除したのであるが、原告には、同条各号の規定に該当するような非行はないから、右解除の意思表示は無効である。

(二)  解雇の意思表示は、権利の濫用であつて無効である。

原告は、昭和二十六年二月十三日被告に雇用され、駐留軍用船LSM四二九号に操舵手として乗船、次いで同年五月二十九日FS一六八号に転船し、同じく操舵手として勤務したが、両船は、時恰も朝鮮動乱の熾烈な戦火の下で、危険水域にあり、原告は、身の危険並びに食糧、日用品の不足欠乏、上陸の全面禁止または故国との連絡通信の不備等による困難に耐え、誠実に勤務し、昭和二十九年二月十九日LT三五六号に転船、次いで昭和二十九年三月二十三日BD六〇六九号に転船したが、そこでも原告は、真面目に勤めて来た。このように真面目に勤務して来た原告を何らの理由もなく解雇することは、権利の濫用であつて無効である。

(三)  雇入契約解除及び解雇の意思表示は、不当労働行為であつて無効である。

被告に雇用され駐留軍用船に乗船している日本人労務者は全日本海員組合(以下全日海と略称する。)または全日本駐留軍労働組合(以下全駐労と略称する。)の何れかに所属しており、BD六〇六九号の船員は船長以下十数名であるが、そのうち全日海及び全駐労所属の組合員は、相半し、原告は全日海横浜支部の組合員である。右両組合は、昭和二十八年末頃から調達庁に対し、特別退職金増額(八〇%増)の要求をしていたが、昭和二十九年六月行われた駐留軍労務者の大量人員整理に伴い、右要求貫徹のため闘争は、次第に活溌となつた。その頃両組合は、本部及び支部にそれぞれ共同闘争委員会を設けて闘争を押し進める態勢をとつたのであるが、原告の所属する全日海横浜支部も、同年七月頃支部闘争委員会を設け、原告は、その副闘争委員長となつた。そして、全駐労は、同年九月十三日及び十四日の両日四十八時間ストライキを敢行し、全日海は、直接これに参加することはしなかつたが、原告は、副闘争委員長として、全面的にストライキに協力し、要求貫徹のため活溌な組合活動を行つた。このような原告の組合活動は、駐留軍の嫌悪するところとなり、被告は、これを理由に雇入契約解除及び解雇の意思表示をしたものであるから、右意思表示は、不当労働行為であつて無効である。

三  賃金支払請求について

前記のとおり、原告と被告との間には、雇入契約及び雇用契約が存在するから、原告は被告に対し、右契約に基く労務を提供しているのにかかわらず、被告は不当にこれが受領を拒否しているから、被告は、原告に対し右労務の対価たる賃金を支払う義務がある。そして、昭和二十九年九月当時一カ月の賃金は、給料一万四千五百三十円、扶養手当六百五十円、特別手当千四百五十三円、勤務手当四千五百四円、特殊勤務手当九百一円、合計金二万二千三十八円、その支払期は翌月十日の約束であつたが、同年十月分の賃金として金二千七百六十四円の支払を受けたのみであるから、同月分残額金一万九千二百七十四円及び同年十一月分ないし昭和三十一年六月分一カ月金二万二千三十八円の割合による賃金の合計金四十六万三十四円及びこれに対する支払期の後である昭和三十一年七月十一日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三被告の答弁

一  請求の原因に対する答弁

(一)  第一項認める。

(二)  第二項の(一)雇入契約解除の理由が原告主張のとおりであることは認めるが、その余の事実は否認する。解除の理由の詳細については後述する。

(三)  第二項の(二)原告が原告主張の駐留軍用船に乗船していたことは認めるが、原告の勤務状態が良好であること及び解雇が権利の濫用であることは否認する。解雇の理由の詳細については後述する。

(四)  第二項の(三)全日海及び全駐労が共同闘争委員会を設けたこと及び全日海横浜支部が闘争委員会を設け、原告が副闘争委員長となつたことは知らない。原告が活溌な組合活動をしたこと及び雇用契約解除並びに解雇の意思表示が不当労働行為であることは否認する。その余の事実は認める。

(五)  第三項昭和二十九年九月当時原告が支給を受けていた賃金の内訳及その額並びに支払期が原告主張のとおりであることは認めるが、その余は争う。

二  被告の主張

(一)  雇入契約解除及び解雇の理由は、次のとおりであり、右意思表示は有効であるから、原告と被告との間には、雇入契約及び雇用契約は存在せず、従つてまた被告は、原告に対し賃金を支払う義務はない。

(イ) 雇入契約解除の理由

原告は、米駐留軍用船BD六〇六九号に乗船し、操舵手として勤務中、上長の命令に敏速に従わず、課せられた責務の遂行に怠慢であつた。軍用船においては、一般の私船に比して、特に厳格な規律の遵守、上長の命令に対する絶対的服従が強く要請され、右に反する者は軍用船の船員として不適格で、かかる者を雇入れておくことはできない。

けだし、軍用船は、有事の際には危険地域において、船自体の運行のみならず、船員の生命の危険をもおかして服務しなければならない場合が生ずるのであるから、平素からこれに備えるところがなければならないからである。原告の右の行為は、船員法第四十条第六号にいうやむを得ない事由ある場合に該当するから被告はこれを理由に雇入契約解除の意思表示をしたのであつて、右規定に違反しない。

(ロ) 解雇の理由

原告の右の行為は、また雇用契約上の重大な義務違反であるから、被告は民法第六百二十八条に則り、これを理由に解雇の意思表示をしたのであつて、これにより即時に雇用契約は終了した。

(二)  かりに原告主張のような理由により、雇入契約解除及び解雇の意思表示が無効であるとしても、次のような理由により原告と被告との間には、現に雇入契約及び雇用契約は存在しないから、本訴請求に応ずることはできない。

(イ) 雇入契約不存在の理由

本件雇入契約は、期間の定のないものであるところ、被告は、船員法第四十二条に則り、昭和二十九年九月二十日原告に対し、書面をもつて雇入契約解除の申入をしたから同日より二十四時間経過した翌二十一日雇入契約は終了した。

(ロ) 雇用契約不存在の理由

本件雇用契約は、期間の定のないものであるところ、被告が昭和二十九年十月五日原告に対してした解雇の意思表示には、民法第六百二十七条にいう雇用契約解約の申入を包含しているから、同日より同法所定の期間の経過した日に雇用契約は終了した。

第四被告の答弁に対する原告の主張

被告主張のような雇入契約解約の申入があつたこと及び解雇の意思表示に雇用契約解約の申入を包含していることは否認する。かりに雇入契約解約の申入が存在し、また解雇の意思表示に雇用契約解約の申入を包含しているとしても、右意思表示は、何れも次のような理由により無効である。

一  右意思表示は、何れも権利の濫用であつて無効である。

駐留軍に雇用される船員の人員整理については、極東陸軍司令部が昭和二十九年三月二十五日発した「船員に対する暫定人員整理手続」と題する指令が適用になるのであるが、これによると軍が二年以上連続勤務する船員を人員整理の対象に選んだ場合は、同一基地港区域において、同一職名を有する船員で勤務年数最短の者と入替をする等の措置をとり、能う限り二年以上連続勤務船員の身分を保障する建前になつており、右指令実施後は、これらの者について転船以外の雇入契約の解約または雇用契約の解約がなされたことがない。このような状況の下においては、二年以上連続勤務者である原告に対し、右のような手続をとらないでした雇入契約又は雇用契約解約の申入は、権利の濫用というべきである。

二  右雇入契約解約の申入は、船員法第四十七条ないし第四十九条の規定に違反するから無効である。

船舶所有者が雇入契約解約の申入をする場合には、船員法第四十六条ないし第四十九条の規定による船員の送還義務若しくは雇止手当または送還手当支払の義務等を履行しなければならないのであり、これらの義務の履行は、雇入契約解約の効力発生要件と解すべきところ、被告は、これを履行していないのである。

第五原告の右主張に対する被告の反駁

一  原告主張のような手続を規定している「船員に対する暫定人員整理手続」と題する指令が存在することは認めるが、これは予算の縮減または作業の合理化等により軍が人員整理を行う場合に適用されるものであつて、本件のような個個の雇入契約又は雇用契約の解約に適用ないから、これによらないからといつて、右意思表示が権利の濫用になるものではない。

二  船員法第四十六条ないし第四十九条の規定による義務の履行は、雇入契約解約の効力発生要件ではないから、これに違反するからといつて、右意思表示が無効になるものではない。のみならず、被告は、昭和三十年十一月十八日原告に対し、雇止手当を支払う旨通知したのであるが、原告は、この受領を拒否しているものである。

第六被告の右反駁に対する原告の認否

被告がその主張の日原告に対し雇止手当を支払う旨通知したことは認める。

第七証拠〈省略〉

理由

第一当事者間に争ない事実

原告が昭和二十六年二月十三日被告との間に期間の定なく米駐留軍用船の船員として勤務する旨の雇用契約を締結し、次いで昭和二十九年三月二十三日被告との間に期間の定なく米駐留軍用船BD六〇六九号の海員として勤務する旨の雇入契約を締結し、同船に乗船して操舵手として勤務していたところ、同年九月二十日雇入契約解除の意思表示を、次いで同年十月五日解雇の意思表示を受けたことは、当事者間に争ない。

第二雇入契約及び雇用契約存在確認請求についての判断

一  雇入契約存在確認請求について

(一)  原告は、被告が昭和二十九年九月二十日原告に対しなした右雇入契約解除の意思表示は、原告に職務怠慢の行為あることを理由になされたものであるが、原告にかかる非行はないから、船員法第四十条の規定に違反し、無効であると主張するに対し、被告は、原告に命令不服従または職務怠慢の行為があり、これは同条第六号に該当するから、無効でないと主張する。よつて、先ず雇入契約解除の理由たる事実の存否について検討し、これに対する右規定の適用を考察する。

証人長谷川広男の証言中原告がBD六〇六九号において操舵手として勤務中、上長から甲板の掃除を命じられたのにかかわらず、これに従わず、また当直中他の船舶においてマージャンをして勤務を怠つた旨の供述並びに同証人の証言により真正に成立したものと認められる乙第一号証の一、乙第五及び第六号証中原告に命令不服従または義務不履行等の行為がある旨の記載は、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一及び第二号証、原本の存在並びに成立に争ない甲第六号証の二ないし五の記載並びに証人服部仁郎、同森山年雄及び同玉城達雄の証言に対比して、当裁判所の措信しないところであり、その他被告主張のような解除の理由たる事実を認めるに足りる証拠はない。尤も、原告本人尋問の結果によれば、原告がBD六〇六九号に乗船中、前日来の勤務が終了したので、居室としていた船中の寝室に戻り、ベットに寝ていたとき作業監督のため軍から派遣されていたデッキイ軍曹が原告に対し、舷窓を開けるよう二・三度命令したが、原告は当直中でない旨を申し出て、直ちにこれに従わなかつたことが認められる。しかし、右は勤務時間外のことで、特別の事情のない限り、原告がその命令に服従しなければならない義務があるものと解することはできないから、これをもつて命令不服従または職務怠慢として非難することは失当である。

船員法第四十条が雇入契約解除の理由を制限的に列挙している趣旨は、船員が同条各号の何れかに該当する理由なくして雇入契約を解除されることを防止し、船舶所有者の専断から船員を保護しようとする社会政策的目的に出たものであるから、同条は強行規定と解すべきである。

ところで同条第六号に「やむを得ない事由のあるとき」とあるのは、契約解除を正当ならしめるような船舶所有者側に存する事由の外に同条の前各号に当らない程度の船員側の非難さるべき行動をも広く含むものと解釈されるのであるが前認定によれば、同条の規定に該当する雇入契約解除の理由たる事実を認めるに由ないのであるから、本件解除の意思表示は同条第二号には勿論のこと同条第六号の規定に違反し、無効であると断定するの外ない。

(二)  被告はかりに右雇入契約解除の意思表示が無効であるとしても、被告は昭和二十九年九月二十日原告に対し、書面をもつて雇入契約解除の申入をしたから、雇入契約は翌二十一日終了したと主張し、原告は右雇入契約解約の申入があつたことを否認する。

しかし雇入契約解約の申入は書面をもつてすることをその効力発生要件とすること同法第四十二条の明文上明らかであるところ、証人長谷川広男の証言中軍が同年九月二十日原告に対し乙第三号証(原告を予備員に配転する旨の書面)と同趣旨の書面を交付した旨の供述は、原告本人尋問の結果に照し、措信しえないところであり、その他被告の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。却つて、原告本人尋問の結果によれば、原告は同日軍から口頭をもつて職務怠慢を理由として下船命令を申し渡されたことが認められるので、右下船命令が雇入契約解除の意思表示のみならず、雇入契約解約の申入を含むものとしても、書面によらないものであるから、同条の要件を欠くものであつて、解約申入の効力を認めるに由ない。

二  雇用契約存在確認請求について

(一)  原告は、被告が昭和二十九年十月五日原告に対しなした前記解雇の意思表示は、何らの理由もないものであるから権利の濫用であつて、無効であると主張し、被告は、右意思表示は、民法第六百二十八条にいうやむことを得ない事由あるときに該当すると主張する。

元来船員法は、雇入契約の解除について規定しているけれども、雇用契約の解除に関し規定するところなく、また同法第六条は労働基準法第二十条を準用していないから、船員の解雇の効力は、民法の規定に照し判断するの外ない。

ところで、民法第六百二十八条に規定するやむを得ない事由とは、雇用契約締結の目的の達成について重大な支障を惹き起すような事由と解すべきところ、被告が右規定に該当する事由として主張するところは、雇入契約解除の理由として主張した前記事由と同一であるが、その立証のないこと前認定のとおりであるから右解雇の意思表示は、右規定に違反し、無効である。

(二)  被告は、右解雇の意思表示には、民法第六百二十七条の規定による雇用契約解約の申入を包含しているから、雇用契約は現に終了していると主張し、原告はこれを否認し、かりに、解雇の意思表示に、雇用契約解約の申入を包含しているとしても、権利の濫用であつて、無効であると主張する。

雇用契約解除の意思表示が雇用契約解約の申入と異なること勿論であつて、解除の意思表示が当然に解約申入の意思表示を含まないこと多言を要するまでもない。そして成立に争ない乙第四号証(解雇通知書)によれば本件意思表示は、解除の意思表示と解すべきのようであるけれども、特に解除のみに限り、解約申入を排除する趣旨とも見られないから、解約申入も含むものとして、原告の権利濫用の主張について判断する。

前記甲第一及び第二号証、第六号証の二ないし五、証人服部仁郎、同森山年雄及び同玉城達雄の証言並びに原告本人尋問の結果を綜合すれば、原告は、昭和二十六年二月十三日被告に雇用され、米駐留軍用船LSM四二九号に操舵手として乗船、同年五月末頃から昭和二十八年五月中旬までFS一六八号に乗船、その後LT三五六号に転船、次いで昭和二十九年三月二十三日BD六〇六九号(起重機船)に操舵手として乗船、同年九月二十日雇入契約解除の日まで同船において、荷役のある場合は信号員として、荷役のない場合は船体の手入保存等の作業に従事していたこと(以上の事実中、雇用及び雇入契約解除の日並びに右期間BD六〇六九号に操舵手として乗船していたことは、当事者間に争ない。)、右勤務期間中を通じて、原告は上長の命令によく服従し、同僚との折合もよく、その勤務成績は極めて優秀であり、また操舵手としての技倆も勝れており、非難されるような点は全くなかつたこと、特にFS一六八号に乗船中は、同船の操舵手六名中最高責任者として、朝鮮動乱のさ中において約一年十ケ月間仁川港等の危険水域にあり、物資の欠乏、上陸禁止等の困難に耐えて、誠実に職務を遂行したことが認められる。前記乙第一号証の一、乙第五及び第六号証の記載並びに証人長谷川広男の証言中右認定に反する部分は、当裁判所の措信しないところであり、その他右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで民法第六百二十七条の規定による解雇権も、権利の行使として、信義誠実の原則に従つて行使されなければならないことは、多言を要するまでもない。そして、労働者が一旦解雇されるときは、勿ち生活の危機に直面しなければならないような現在の社会経済事情の下においては使用者が労働者を解雇するに当つては、使用者側に存する解雇の必要性、労働者の雇用契約上の義務の履行状況、解雇によつて受ける労働者の苦痛等を慎重に考慮し、苟しくも労働者の信頼関係を裏切らないように誠実に行動すべきことは法の当然の要請である。使用者側に何ら解雇の必要性が存在せず、かつ労働者が誠実に職務を遂行しているのにかかわらず、職務遂行怠慢等の理由に藉口してこれを解雇することは、社会通念上肯認される倫理観念に著しく違反し、到底正当な解雇権の行使として是認することはできない。前認定の事実に徴すれば、原告は、多年駐留軍労務者として極めて誠実に職務を遂行していたのであるから、その他解雇権の行使を正当ならしめる事情について何らの立証もない本件においては、右解雇の意思表示は、信義則に違反し、権利の濫用として無効と断ずるの外ない。

三  叙上のとおり、本件雇入契約解除及び雇用契約の解除並びに解約申入の意思表示は無効であるから原告と被告との間には原告主張の雇入契約及び雇用契約が存在するのにかかわらず被告がその存在を争つているのであるから、右契約の存在確認の請求は理由がある。

第三賃金支払請求についての判断

原告と被告との間に雇入契約及び雇用契約が存在すること前認定のとおりであり、また原告が右契約解除の意思表示がなされた後も、所定の労務を提供しているのにかかわらず、被告がこれを拒否しているため、原告が就労しえないことは弁論の全趣旨により認められるところである。

そして、使用者または船舶所有者が労働者または船員の契約上の義務違反を理由として雇用契約または雇入契約を解除してその就労を拒否する場合において、右解除の意思表示が強行法規違反または権利の濫用として無効であるかどうかは、一般に極めて微妙な事実認定または法律的判断にまたなければならないのであるから、右意思表示が無効であるという一事によつて一概に使用者の就労拒否がその責に帰すべき事由によるものと推定することはできない。労働者の契約上の義務違反の程度、これに対する使用者の調査の程度または契約解除前後の当事者間の接渉の経緯等から綜合的に判断して、使用者が契約解除を有効であると信ずるについて相当の理由があり、かつこれを信ずるについて過失がないと認められる場合は、使用者の就労拒否が敢てその責に帰すべき事由によるものと断言することはできないであろう。よつて、被告の就労拒否がその責に帰すべき事由によるものであるかどうかについて検討する。前記乙第一号証の一、第四ないし第六号証、証人長谷川広男の証言(前記措信しない部分を除く。)及び原告証人尋問の結果に前認定の事実を綜合すれば、原告がデッキイ軍曹の舷窓を開ける旨の命令に迅速に従わなかつたことに端を発し、同軍曹は、駐留軍第二港湾司令部人事担当将校に対し、職務怠慢並びに命令不服従を理由に原告を下船ないし解雇すべき旨を上申したので同将校は、先ず原告を下船させることを決定し、昭和二十九年九月十日神奈川県船舶渉外労務管理事務所(以下単に労管という。)に対し、その旨通知したこと。これに対し労管は、原告を乗船させたまま事実を調査されたい旨軍に申し入れたが、軍はこれに応ぜず、同月二十日同司令部において原告に対し、口頭で下船を命じたこと、軍がその際原告に対し開示した下船命令の理由は、原告が室内の掃除を怠つたということのみであつたこと、これに納得しない原告は、その後間もなく陳述書を提出し、軍の主張するような理由は存在しないから真相を調査されたい旨申し入れたが、効を奏せず、遂に軍は同年十月五日同司令部において原告に対し乙第四号証(解雇通知書)を交付して解雇の意思表示をするに至つたこと、原告は、右解雇通知書の受領を拒否して、軍の主張する解雇の理由には承服しえないから、更に詳細具体的に解雇の理由を開示するよう要求したが、同将校は「お前はもう処分したから、何をいつてもしようがない。」といつて、原告の納得するような理由を説明しなかつたこと、一方軍は、同日労管に対し、船員法第四十条第二号の規定により原告を解雇する旨通知し、この通知に接した労管は、同日より再三に亘つて軍に対し、右規定を適用して原告を解雇するのは酷に失する旨を述べ、解雇の撤回を要求したが、軍は、これに応じなかつたこと、そのため労管と現地部隊の接渉は、中央機関の手に移され、中央において継続して接渉が続けられたのであるが、その過程に応じ、軍は、再度労管に対し、原告に対する同年十二月十四日附及び昭和三十年九月十三日附解雇通知書(乙第五及び第六号証)を送付したこと、乙第五号証は乙第四号証を訂正する解雇通知であり、乙第六号証は乙第五号を撤回する解雇通知であり、乙第六号証によれば、先に発せられた乙第四及び第五号証と異なり、船員法第四十条第二号違反を解雇理由として表示せず、また原告に対し三十日分の解雇手当を支給する措置がとられる旨記載してあることが認められる(以上の事実中原告が前記の日に下船及び解雇を受けたことは当事者間に争ない。)右認定を左右するに足りる証拠はない。右の事実によれば、軍は、雇入契約解除または解雇の理由の存否については確信をうる程度に調査することなく、漫然デッキイ軍曹の上申を支持して、雇入契約解除または解雇の挙に出たものであり、かつ被告においても、右の措置をそのまま維持することには消極的であると認めざるを得ない。そして駐留軍労務者の雇用関係においては、前記認定事実と弁論の趣旨によれば、軍は使用者である国の機関又は履行補助者の地位にあるものと解するのが相当であるから、軍の行動は法律上国の行動と見る外なく、従つて軍及び被告が原告の就労を拒否していることは過失に基くもので、その責に帰すべき事由によるものと認めざるを得ない。

以上のとおり、原告が昭和二十九年九月二十日以降BD六〇六九号乗船の操舵手として、また同年十月五日以降駐留軍船員として所定の労務に服しえないのは、被告の責に帰すべき事由によるものであるから、原告は、右日時以降も賃金請求権を失わない。ところで、同年九月当時原告が支払を受けていた一ケ月の賃金は、給料一万四千五百三十円、扶養手当六百五十円、特別手当千四百五十三円、勤務手当四千五百四円、特殊勤務手当九百一円合計金二万二千三十八円その支払期が翌月十日の約束であることは当事者間に争なく、原告が同年十月分の賃金として金二千七百六十四円の支払を受けたことは、原告の自認するところであるが、被告が、同月分残額金一万九千二百七十四円及び同年十一月分ないし昭和三十一年六月分の賃金の合計金四十六万三十四円を支払つたことについて主張立証がないから、被告は原告に対し右金四十六万三十四円及びこれに対する支払期の後である同年七月十一日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

第四よつて原告の請求を正当として認容し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条、仮執行の宣言について同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西川美数 岩村弘雄 好美清光)

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